今年の月めくりカレンダーも、最後の一枚になった、いよいよと年の瀬、師走入りです、
毎年、あれほど忙しかった??(これは自分だけの感想&実感です)花散策の出入りもようやく一段落です。天気よければ ほほ近場の散歩に、また、歩きではちょい遠めのチャリ散歩です。
今回はいつも車で横目で看板を見て通る二つの史跡を訪ねてみることにした
まずは 気になっていた <安徳天皇御陵>を訪ねてみた。近くの小さな集落の隠蓑地区へ 当地は駐車場もありそうにないので 自転車がベストチョイスである。
いつもは平尾台への行き帰りに見ていて、いつか訪ねてみたいものだと思っていた
さあ、どんなところか行ってみよう。
東九州高速道の高架下をくぐり進むと、
このような案内板に行き着いた。
矢印に従い進む
わかりやすい案内板と、人家裏の細い道を進むと、
すぐに、少し上部にそれらしき建物が見えてきた
どうもここが(天徳天皇御陵)のようである、こじんまりとした古びた拝殿など祠が左右に点在している。
天徳天皇のお手植えのご神木とされている木が、風雪から守られるように 屋根付きの小屋にて大事に保存されています。
史実案内板より抜粋
寿永4年(1185)源氏に敗れ壇之浦で入水したと伝えられる安徳天皇は平氏の公爵に伴われ門司の田ノ浦へ上陸、松ヶ江超え、当時この地区で権勢を誇っていた長野城主を頼り、2~3か月隠れておられたが、城主が亡くなられたので英彦山に向かって城を出られたと言う、横代を通り隠蓑(当時は城野村)まで来られた時源氏の追ってが迫ってくるのを村人が同情申し上げ、有り合わせの萱やカヤなど持ち寄って天皇をお隠し申し、上から藁などを着せ掛け気づかれないようにして、それにより、天皇一行は逃れることができたと言う。
* 毎年12月15日には安徳帝を偲ぶ祭礼と農村の収穫儀礼行事を併せて祭りがあり
<しびきせ祭>が行われる。
<しびきせ祭>が行われる。
検索資料からは
安徳天皇は 1178~1185(平安時代)
歴代天皇の中で最も若くして崩御した天皇、わずか8歳の短い生涯であったがそれだけにその生涯は日本各地で諸説万説である、8歳で崩御のため、当然后妃も皇子女もおらず、未婚の男性天皇は清寧天皇、六条天皇に次いで三人目でそれ以降はないとされる。
次に 時代は大きく変わって
(天徳天皇御陵)からほど近いところに、鎮座する牛馬慰霊碑である。
そばまでは立ち入る事ができないが、記述を画像にとって少し読み取ると、要約すれば 幾多の戦争や、大戦の折、軍馬として現在の門司港から徴用され戦地で兵士と苦楽を共にして、その生涯は戦場で果てし、軍人は帰国することがあっても軍馬は生まれ故郷に帰ることはなかった。その後内地へ帰国した軍人や関係者が軍馬などの慰霊をするための史跡である。
このように、車で足早に通るだけの駐車困難な道沿いにはチャリ散歩ならではの史跡巡りもまた楽しいものである
記事前半の当時 長州の軍勢と戦った強固な権勢を誇ったとされる<長野城主>と天徳天皇陵の関係を見聞するため 長野城主の菩提寺とされる、長野地区にある<護念寺>を訪ねます
城の跡地である裏山には城の遺構が残っており長野山&長野城と<護念寺>との深い関わりがあるとされている。



































































































