
2026:8:28
かって約20年近く前に手術などしてもらって、当時のカルテが残っている病院へ、現在の
整形の主治医の紹介状持参で再検査を受けるため向かうも、予約時間までには一時間も余裕がある。
そこでいつも横目でここの公園を通過するだけだったので、思い立って時間調整兼ねてたちよってみることに。
手向山(たむけやま、76m)の超低山である。今 放送中の日本百低山シリーズにも選定にされてもおかしくないほどの魅力ある見事な低山である。ところが この超低山が歴史上の類例ないような歴史が凝縮されたような 日本人なら登場人物は、これはもう誰もが知っている山?なのである。
冒頭言葉はこのくらいにして、
本題に移ろう。

この信号交差点から入ると
この手向山(76m)は関門海峡を一望できる小高い山で、かっての宮本武蔵の養子、宮本伊織が藩主から拝領した山域であり、明治以降は関門海峡を防御する要塞の一つとなった歴史から洋々な歴史遺構が点在している

山頂近くの広場は車で乗り入れできる、広い駐車場として整備されています。この石段を登りあがれば関門海峡の絶景ポイントがあった
この写真からも、いかに狭い海峡であることが伺えます、対岸が山口県下関市。
さっそく時間もないことから、急ぎ足で歴史探訪してみよう
おお、さっそく 佐々木小次郎の碑がお出迎え、歴史上の 武蔵vs小次郎の決闘の舞台はそろった
武蔵の碑と向かい合うように建てられており、展望広場からは二人の決闘の舞台となった 巌流島を眼下に望むことができます
一方の武蔵顕彰碑、つまり剣豪ゆかりの碑は
1654年(承応3年)武蔵の養子だった宮本伊織が養父、武蔵の業績を後世に伝えるため建立したとされる名碑である。
皆さんご存じのようにい伊織は小倉藩小笠原家の筆頭家老として藩政を支えた希代の有能な家臣と出世し、以後、宮本家は代々小倉藩の筆頭家老職を世襲することになったと。言う
皆さんご存じのようにい伊織は小倉藩小笠原家の筆頭家老として藩政を支えた希代の有能な家臣と出世し、以後、宮本家は代々小倉藩の筆頭家老職を世襲することになったと。言う

宮本武蔵の石碑
明治から昭和へ
軍事遺構、画像には無いが 赤レンガの火力発電所跡
などなど、関門海峡を防衛する数々の戦績遺構が点在している
そこから一段と下れば 宮本伊織とその一族の墓所がある 当然 武蔵、伊織と宮本家代々の名士や女衆の墓所がと所狭しと建立されている、

これが武蔵石碑
伊織石碑は手前??
今回 短時間の駆け足程度の歴史探索であったため 急に思いついての立ちよりで事前勉強不足
次回機会あればもっと調べて もう一度時間かけて探索してみたいと思う。













































































































